映像クリエイターとしての発信
creative management BLUE
に至るまでを綴っていこう
さて、2020年にフォトグラファー兼映像クリエイターとして独立し、新たなスタートを踏み出した私だが、映像クリエイターとして活動できるまでに至った経緯を少しづつ、このBLOGで紹介していこうと思う。長い長い章が羅列されるかもしれない。
ただ、学生の頃に思い立った夢を、叶えるまでに至った20年間は、第1回だけで完結するということも寂しすぎるだろう?
なので、つらつらとあの頃を思い出しながら、綴っていこうと思う。
最初に伝えておくが、私は現在 四国は香川県でフォトグラファー兼映像クリエイターとして活動している。
まだまだ名の無いクリエイターかもしれないが、これからの数年楽しみにしていて欲しい。
というわけで、まずは高校3年生だった2001年から始まるストーリーを紐解いていこう。
https://entamedata.web.fc2.com/nenkan/nenkan2001.html
平成真っ只中、自分の進路を考えている中で、父親と将来の話をするようになった年頃。
父親は私に、教師になりたかった夢を託したそうな雰囲気もありながらも、押し付けることなく、私の話に耳を傾けてくれていた。お笑い芸人になりたいと思っていた当時、「お笑いも頭が良くないとなれないんだぞ」と言われ、大学には行けと諭されていた。そんなある日、衝撃が走るドラマが始まった!
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/dekikon/
できちゃった結婚というフジテレビのドラマ。
何が衝撃かというと、竹野内豊氏の役柄だ!
CMディレクター
テレビ大好きだった私であり、CMも好きで良く見ていた。
CMディレクターという仕事があるんだ!!!!
その発見をした瞬間!これだ!!!!と今まで漠然と将来の夢がなんなのか、自分はどうなりたいのか、生きるとは、、、くらいまでもやもやしていたのがウソのように、ハレルヤという気分になった。
今でもあの衝撃は、はっきりと覚えている。ドラマを見た次の日、高校の友達に、
CMディレクターって仕事があるんだよ!!!
それになるって決めたよ!!!!
って宣言したことも覚えている。
それから、教師・芸人という方向から、180°方向転換し、CMディレクターという道へと舵をきった。
大学もマルチメディアや映像を学べそうな学科を探し、受験した。法政、日大も記念受験した。
結果、受かったのは、地元北海道の大学。北星学園大学。
https://www.hokusei.ac.jp/humanities/psychology/
しかもなんと、新設の学科として、マルチメディアや映像を学べるというナイスタイミング。1期生として入学することになった。この大学ライフは、本当に内容の濃いものとなっているので、このBLOGでさらに掘り下げていきたい。
私の映像ライフの礎を築くことになる4年間になったのは間違いないからだ。
そこで出会った最高の相棒とクリエイターおたくと恩人の出会いも、今の私にはかけがえのないものとなっている。
そして20年が経った今2022年になって、この頃の懐かしいものに心が躍っているのも確かだ。
だからこそ、この頃からの振り返りをしていきたいとも思っている。
1話はこのくらいにして、今後も
四国で活動するフォトグラファー兼映像クリエイターの回顧録にこれからもお付き合いくださいませ。