自己満足を考える
タイトルの通り、よくクリエイティブな場面では問われる問いなのだが、
大学の素人時代から一貫して、その答えは私の中では、はっきりしていて
「自己満足もできないような作品なら、作らない方がいい」
この1択しかない。
補足で説明するのであれば、
クリエイターという、常に映像なり写真のことを考え倒している人間が、
カッコいい!凄い!!これが最高!!!
と思って作ったものならば、何か意図があり、先人達から継承してきたテクニック、過去に感じたインパクト、
そんなものが取り入れられているに違いない。
そして、いつか自分もこんなカッコいい作品を作りたいとそのチャンスを待ちわびていたかもしれない。
何か強烈なものを感じ、表現したいという奥底から湧き上がるものが、
日々の喧騒で忘れてしまっていたりはしたが、
ふとした瞬間に、蘇り、ここだ!!!というタイミングで発動される。
だから、時折
盗作だの、オマージュなどということも起きる。
そして、それは必ずしも今回の依頼内容に完全に一致したものではないこともあるのかもしれない。
だから、自己満足の作品と言われてしまうのかもしれない。
そりゃあ、自分だけの数十年分の思い出に、
お客様は置き去りにされるし、
唐突すぎてストーリーもないままだ。
私は、そのような間違いを冒さないように、
謙虚に、抑圧もしながら、日々お客様に満足してもらえるように、方向性を間違いないようには心掛けている。
1年に1回くらいは、汲み取りきれていなかったと反省することもあるが。
ここで、少し話は本題からズレるかもしれないが、
著名なアーティストであったり、名の売れているクリエイターなら、
その傲慢さが逆に評価されたりする。
無名の私がやると、ただの間違い。失望。不評。
そこは力量の差が、説得力という圧倒的差として表に出てくるのだろう。
だからこそ、
感じてもらわなくてはならない
伝わらなければならない
それには、自分の魂を込めなくては、自信がなくて見てもらえない。見せれない。
だからこそ、
自分が強烈にインパクトを抱いた過去の体感を、
味わってもらいたいのだと思う。
毎回、自分のエゴを出したいということは思ってはいないが、
映像とは「引っ掛かり」も大事なものなので、
なんかわからないけど、いいね!!!とか
あの部分がグッときたよ!!!!とか
テンポがよかった!!!!!とか
作者として意図した所が、印象に残ってもらえたらというシーンは入れたいとは考えている。
そうこう述べてきたが
現在、手掛けている映像制作では、
こっそりと自己満足を入れさせていただいた。
それは、私が大学受験真っ只中によく流れていたCM
ANAのCMだったと思うが、
STEADY & Co.のonly holy storyが流れ
空港の出発ロビーをカメラが、ずっとスライドしていき
大きな窓の向こうには搭乗客を待つ飛行機が停まっており、
「power of Tokyo」という一言だけのキャッチコピーが表示されるというシンプルなCM
大学受験真っ只中の冬。
初めてと言ってもいいくらいの1人で飛行機に乗って、東京の大学を受験しに行くという当時の境遇。
進学で、友人達もどんどん上京していく日々。
まさに、こんなCM作ってみたいと思って、強烈に残っていた空港内の映像。
それが、20年経った自分にチャンスが巡ってきた。
今回の映像は、空港のシーンはそんなに重要なわけではなかったが、ストーリー上、空港での撮影もあり、
あの映像オマージュを作品の中に採用した。
完全に自己満足を決行したわけだ。
だが、クライアントはそのシーンを「カッコよかったと」
私だけの思い出に共感してくれたのだ。
なんということだ。
夢の一旦を勝手に持ち出しただけなのに、
同じインパクトを抱いて頂き、
評価までして頂けるなんて。
作り手として、こんなにありがたいことはない。
ここまで来てようやく自己満足ではなくなり、
作品という自分だけのものから、納品物として先方様のものへと成り立っていく。
20年前の自分の感覚と技術と経験をプラスした今の自分だからこそ、
変な方向へと踏み外さずにできたのだろう。
1択とは最初に言ったものの、
先輩の教えが本当は一番の自己満足の答えだとも思っているが、
表紙に採用する大事なカットならば、自分が責任を持って、説明できるものを選べ。
それは「お客様目線で考えて」ということを大前提に置いた上で。
その教えがあって、私は自己満足と納品物のしっかりとした境界線を引いて来れたんだと思う。
ありがたい。
(やっぱり、結論までの前置き長ーーーーーーーーーーーーい)
(長文失礼しました)
あーあの「power of TOKYO」CM
youtubeとかでまた見れないかな・・・・・・・